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芥川也寸志とは〜日本の作曲家〜



日本の作曲家を紹介する記事の第2弾です。

今回は芥川也寸志について知っていただこうと思います。

彼は芥川龍之介の息子で、映画音楽や学校校歌、童謡など様々なジャンルの作曲家を手がけました。



芥川也寸志の略歴


誕生日:1975年7月12日 東京に生まれる

死没 :1989年1月31日(63歳没)


芥川龍之介の三男として生まれる。


・5歳頃 芥川龍之介自殺した後、父の遺品であったストラヴィンスキーのレコードを気に入ってよく聴いて過ごした。

(幼稚園への行き帰りなどに、ペトルウシュカの『熊の踊り』や、火の鳥の『子守歌』のメロディーなどを口ずさんでいたようです。)


・10歳 東京音楽学校に入学することを母親に懇願するものの将来のことを心配する母の思いもあり断念。(当時、児童科があり4年生から入学が可能だった。)


・11歳 少年倶楽部の通信販売のヴァイオリンを買ってもらい、作曲をしたりした。


・16歳 本格的に音楽を志す。橋本國彦の紹介で井口基成に師事した。練習に熱が入りすぎ腱鞘炎になった。そのため受験は一年延期に。


・18歳 東京音楽学校予科作曲部入学。入学そうそう、校長に呼び出され五十何人中最下位で入学したことを告げられショックを受ける。


・19歳 東京音楽学校本科作曲部に進学。橋本國彦に近代和声学と管弦楽法、下総皖一と細川碧に対位法を、永井進にピアノを師事。


・20歳 学徒動員で徴兵され陸軍戸山学校軍楽隊に配属され、芥川は8か月の教育期間を主席で卒業し作曲係上等兵となる。

團伊玖磨と奥村一と斉藤高順とともにほうぼうの隊の隊歌、連帯歌など様々な隊歌や軍楽隊向けの作編曲を行う。

終戦後、東京音楽学校本科2年に復学。(父の印税が途絶え、自己流のヴァイオリンを進駐軍の施設やダンスホールなどで演奏して収入を得ながら、進駐軍向けのラジオ放送を通して現代音楽を学んだ。)



・21歳 戦後の人事刷新で作曲科講師に迎えられた伊福部昭と出会い、強く影響を受ける。


・22歳 東京音楽学校本科を首席で卒業、研究科進学する。


・24歳 東京音楽学校研究科を卒業する。NHKラジオで『小管弦楽のための組曲』放送初演。


・25歳 『交響管絃楽のための音楽』を作曲し、25周年記念懸賞募集管弦楽曲に特賞入賞する。(もう一人の受賞者は團伊玖磨であった)

近衛秀麿指揮の日本交響楽団により初演され、一躍脚光を浴びた。


・28歳 黛敏郎、團伊玖磨と共に「三人の会」を結成する。


・29歳 当時まだ日本と国交がなかったソ連に密入国する。ショスタコーヴィチハチャトゥリアンカバレフスキーらと交流。ソ連での自作楽譜出版を達成。(当時のソ連で楽譜が公に出版された唯一の日本人作曲家になった。)


・31歳 アマチュア演奏家たちの情熱に打たれて新交響楽団を結成する

 

・35歳 黛敏郎、武満徹、間宮芳生、林光らと「作曲家集団」結成。


・38歳 高橋悠治、一柳慧、小林健次らと「演奏家集団・ニューディレクション」結成。


・43歳 アマチュア合唱団「鯨」結成。


・53歳 第1回日本アカデミー賞で『八甲田山』と『八つ墓村』が最優秀音楽賞と優秀音楽賞を受賞。

 

・55歳 日本作曲家協議会委員長に就任。


・56歳 「反核 日本の作曲家たち」の活動をはじめる。第1回ソヴィエト国際音楽祭で自作の『チェロとオーケストラのためのコンチェルトオスティナート』を指揮。第33回イタリア賞テレビ部門イタリア放送協会賞。エミー賞を受賞。

 

・57歳 反核日本の音楽家たち」演奏会開催、指揮者として松村禎三作品などを初演。


・58歳 日本作曲家協議会、社団法人となる。会長に就任。


・60歳 紫綬褒章受賞。


・61歳 第37回日本放送協会放送文化賞受賞。


・62歳 財団法人日本近代音楽財団理事に就任。


・63歳 肺がんと診断される。


・64歳 死去。芥川のアドバイスを受けて建築された田園ホール・エローラが開館


・1990年 4月芥川の功績を記念してサントリー音楽財団により「芥川作曲賞」が創設された。


2002年 芥川を記念する「芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカ」が設立された。



芥川也寸志の代表作


交響管弦楽のための音楽

NHK放送25周年記念事業の懸賞募集管弦楽曲応募作として作曲され、特賞入賞し、作曲者の出世作となった。


歌劇『ヒロシマのオルフェ』

(1960年、原題『暗い鏡』、1967年改訂。台本:大江健三郎)

ザルツブルク・オペラ・コンクール第1位。


エローラ交響曲

立ち寄ったインドエローラ石窟群からインスピレーション受けた作品。

 


芥川也寸志の作風

快活で力強い作風といわれている。

師である伊福部とプロコフィエフ、ショスタコーヴィチらのソビエトの音楽の影響が大きい。伊福部と同様にオスティナート手法のを取り入れている。


芥川也寸志の逸話


・小学生時代は唱歌が苦手で、音楽の成績が通知表で最も劣っていた。




・三人組のきっかけ…一人でオーケストラの作品発表をやるのは大変な負担であるため、三人で分担すれば三分の一で出来るではないかという意図もあったようだ。


・新交響楽団を結成するきっかけ…ある音楽鑑賞団体の会員らが、楽器を持ち寄ってアンサンブルをしていた。一回聞いてくれと頼まれて聞いたものの、その演奏はアンサンブルとは言えないような個々が弾きたいように演奏しているだけのものだった。しかし彼らの楽器を演奏したい!という音楽を純粋に楽しんでいる姿に感銘を受け契約に至ったそうだ。




芥川也寸志がわかる本


人はさまざま歩く道もさまざま (芥川也寸志対話集)

 著者:芥川也寸志 芸術現代社


音楽の旅 (エッセー)

 著者:芥川也寸志 旺文社


日本の音楽家を知るシリーズ 芥川 也寸志

 著者:新・3人の会 (清道 洋一/德永 洋明/西 耕一) 監修:芥川 眞澄 

 ヤマハミュージックメディア


音楽の基礎

 著者:芥川也寸志 岩波新書





芥川也寸志の名演レコード


・「管弦楽選集」 指揮:芥川也寸志 新交響楽団 

作曲者自身の指揮による演奏で彼の代表作がまとめられている。


芥川也寸志生誕90年メモリアルコンサート 指揮:松井慶太 オーケストラ・トリプティーク

彼の生誕90年を記念して行われたメモリアルコンサートであり、没30年を記念したCD。


芥川也寸志forever 指揮:山田一雄、飯森泰次郎 新交響楽団

DISC・Aには純音楽作品、DISC・Bには純音楽作品と映画・放送用音楽作品といった構成になっている。




まとめ

音楽著作権関連の活動では日本音楽著作権協会(JASRAC) 理事長として音楽使用料規定の改定に尽力し、徴収料金倍増などの功績を挙げた人物でもあります。そのおかげでいまの音楽家が一回でも音楽が使われれば使用料が発生し、収入を得られる仕組みがあるのだと思います。数多くの映画音楽も手掛けてきた彼の作品はいまもなお、多くの人に影響を与えています。お家時間に「八つ墓村」「八甲田山」などの映画とともに彼の音楽にを楽しんでみてはいかがでしょう。


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